日本沈没:これからも日本人を信じたい【映画名言名セリフ】
映画「日本沈没」をテレビで観たので、レビューします!
【日本沈没 - Wikipedia 】
日本沈没 | |
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SUBMERSION OF JAPAN[6] | |
監督 | 森谷司郎(本編) 中野昭慶(特撮) |
脚本 | 橋本忍 |
製作 | 田中友幸 田中収 |
出演者 | 小林桂樹 丹波哲郎 藤岡弘 いしだあゆみ 滝田裕介 中丸忠雄 村井国夫 夏八木勲 高橋昌也 神山繁 中村伸郎 島田正吾 二谷英明 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 村井博 木村大作 富岡素敬 |
編集 | 池田美千子 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1973年12月29日 1974年11月9日 1975年5月 1975年10月6日 1976年4月30日 |
上映時間 | 140分[6] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 5億円 |
興行収入 | 約40億円[3] |
配給収入 | 16億4000万円[3] |
【映画「日本沈没」:内容紹介】
※日本沈没 - Wikipedia より抜粋
東宝映画・東宝映像の製作、東宝の配給で1973年12月29日より正月映画として公開[6]。東宝プロデューサーの田中友幸によって、小説の刊行前から映画化の企画は進められており[7]、「映画化のあと、TBSでテレビドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはテレビドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。
監督には黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎を抜擢。脚本には同じく黒澤作品に参加していた橋本忍があたった。製作期間は約4か月と短かったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は16億4000万円(1974年邦画部門配給収入1位)[8]を挙げる大ヒットを記録[3]。中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた[3]。本作の成功で、森谷司郎は以後、『八甲田山』など大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝も本作に続く形で、『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『東京湾炎上』(1975年)までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[3]。
【映画「日本沈没」:ストーリー】
※日本沈没 - Wikipedia より抜粋
197X年夏。小笠原諸島の北にある無名の小島が、一夜にして海底に沈んだ。地球物理学者・田所雄介博士は、ただちに現地調査に赴く。深海調査艇「わだつみ」号の操艇者・小野寺俊夫、海洋地質学者の幸長助教授と共に日本海溝[注釈 3]に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。
おりしも伊豆半島付近で地震が発生し、それに誘発されて天城山が噴火したため、内閣では地震学者との懇談会を開いて意見を聞くことになった。その席に招かれた田所は、「日本がなくなってしまう」可能性を口にするが、学者仲間の失笑を買うだけだった。だが、政財界の黒幕である渡老人は田所の説に興味を抱き、その説を検証するため首相を呼びつけ、極秘裏に「D計画」を立ち上げさせる。
D計画に集った田所、幸長、小野寺、情報科学者の中田一成らは、やがて一つの結論に達する。それは、日本列島近傍のマントル流に急速な異変が起こっており、その結果として「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。一方、渡老人は、比較文明史学者の福原教授らに依頼して、日本人の国外脱出とその後に関する計画を策定させる。
【映画「日本沈没」:キャスト】
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【映画レビュー 「日本沈没」:ぴあ映画生活】
【映画レビュー 「日本沈没」:満足度=90点】
100点:公開年TOP映画!!! ※個人年間ベスト作品
90点:超オススメ映画!! ※個人年間ベスト2-10作品
80点:オススメ映画! ※観て欲しい作品
70点:素敵な映画 ※観ても良い作品
60点:残念な映画 ※観なくても良い作品
【映画レビュー 「日本沈没」:起承転結】
起:発見
承:D計画
転:告示
結:国外脱出計画「D-2」!
【映画レビュー 「日本沈没」:満足ポイント】
1.1973年の映画として最高峰(脚本・技術・キャスト)の映画、日本人必見です!!!
2.阿部玲子:いしだあゆみの水着シーンは超レア!!
3.政官財で暗躍する黒幕がいるのがとても良い、首相役:丹波哲郎が名演!
【映画レビュー 「日本沈没」:名言名セリフ】
これからも日本人を信じたい
→ ラスト直前、田所雄介博士:小林桂樹が首相役:丹波哲郎に言う名言名セリフ。
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